明烏ど阿呆日記

徒然に考察する岡田茂吉思想とこれから

その2

昭和29年5月1日

献上品に対し、今まではお菓子が届けられた場合、奥様の好物のものがその中にあった時、先にお取りになってもよい、と明主様はお認めになっておられた。しかし、「これからは凡て私の部屋に届け、献上の報告を終え、私が取ってから奥様に差し上げるようにしなさい」と仰せられる。明主様のご様子はお子の如き可愛いご様子をされる時もあるが、実にメシヤの神として鋭く厳然たるご態度を示される時もあり、側近奉仕は厳粛な気持ちでご奉仕申し上げねばと自覚を新たにする。夕食には野菜の料理だけでなく、お肴も少しお召し上りになられる。「霊界が転換し、これから水晶世界になるのであるから、一寸でも間違ったことがあってはいけない」と仰せられる。(樋口)

 

 

昭和29年5月3日

御調髪の後、明主様は「三枝さん、私がこういう大浄化があったのは、お守リを沢山書き過ぎたからですよ。まあ私の手をさわって御覧なさい」と仰せられる。三枝氏は何気なく明主様のお手を拝見させて頂くと案に相違して実にゴツゴツして固いので驚く。「これが筆ダコでね、信者のために書いた御守リの筆ダコですよ」と仰せられ、三枝氏は感激し涙を流す。

 

また、明主様は、今まで御神体、御書の御揮毫、御原稿御執筆と大回転で御仕事を遊ばされたが、もはやなされぬ旨、仰せられる。

 

 

昭和29年5月5日
「メサイア」をレコードにて御鑑賞。

 

昭和29年5月6日

明主様は、お側奉仕の中村氏に、「新しくメシヤとして生まれた私に、如意宝珠の力が授けられた」とお話を遊ばされ、「これは救世主にだけ与えられる力で、自分もびっくりしている」と仰せられる。

 

 

昭和29年5月12日

胃の具合もよくなられ、御浄化後、最も体調がよろしい御様子で、生欠伸を連続に遊ばす。「これからはミロクの型をやる。今度(15~17日)の教団の行事には出られるだろう」と仰せになる。

御浄化後、御守護御願いの電報がずっと溜まっていた。今日は御体調がよろしいかと思い、御守護願いの報告を申し上げたところ、「今までと違う。これからは自らが神様へ心からお詫びと、お槌りする想念が大事なのだ」と仰せられ、お叱りを頂く。(樋口)

 

 

昭和29年5月13日

明主様がお動きになられるお体のご様子から、体が軽く、生き生きとした感じで、お気力がにじみ出てくるようにお見受けする。お手(右手)の恰好も良くおなりになられる。お食事をお召し上りになられるお時間、量とも落ち着かれる。「想念による新しい浄霊を発見した」と仰せられ、右の御足の裏や腰のあたりの御浄霊を絶えまなく遊ばす。

午後2時、瑞雲郷へお出ましになり、メシヤ会館の建設状況を御覧遊ばす。お帰り遊ばす頃にはお疲れになり、お元気をおなくしになる。

明主様は、夜中、右手を持たれ、裏表と御覧遊ばされて、「随分よくなった。形もよい」と仰せられ、よくお寝み遊ばす。(樋口)

 

 

昭和29年5月20日

明主様はメシヤとして生まれたことを繰り返しお口になされる。「メシヤに生まれ変わったのではなくて、生まれたのだ」と仰せられる。また「今は乳児なんだ」「今嬰児だ」とも仰せになられる。

 

 

昭和29年5月23日

午後9時30分、碧雲荘の温泉タンクの上方の隣家に火災が発生。明主様はその報告を聞かれると、短冊に何かをお書き遊ばされた。そして、「この短冊を火事場に投げよ」と仰せられ、奉仕者に手渡される。奉仕者は火事場に行き、仰せの通りに短冊を火の中に投げ込む。不思議にも急に火は小さくなり程なく鎮火した。明主様は、「短冊は燃えずに残っているから、取りに行って来なさい」と仰せられる。奉仕者は火事場に行ってみると、短冊は焼け跡の所にそのまま残っていたという。この時の隣家の火災について明主様は「この火事は意味があり、この日を境に、今までの乳児ではなくなった」と仰せられる。

 

 

昭和29年5月29日

(前略)朝、明主様は何回か掌を広げては不思議そうに御覧遊ばされる。そして「今まで気付かなかったが、こんな手の筋が出来た」と仰せられ、掌のお手筋が指の上に向かってのびていることを側近にお示しになられる。

午前7時30分、明主様は、お側でご奉仕中の樋ロヨネ氏を呼ばれ、御用をお命じになられたが、本人が納得できず素直に受け止めなかった為、「まだ我がとれぬから帰れ。また用があれば呼ぶ。それまでよく修行せよ」「素直になる事と又、神様のことは、自分では出来ぬと思うのはいけない」と御教えを賜わり、咲見町仮本部へ下る。その折、明主様より、「先頃、井上より水蓮を届けてもらった。花の美しさを見るのを何より楽しみにしていた。井上によろしく伝えて欲しい」との伝言を賜わり、井上氏に伝えると、氏はその有難きお言葉に涙したという。お側奉仕は樋口氏が下ったために、中村一人となる。午後、明主様は、瑞雲郷へお出ましになり、メシヤ会館の建設状況をご視察遊ばす。(後略)(樋口)

その1

昭和二十九年 ご浄化

 

 

御浄化に入られる前、「いつまでも私にぶら下がっていては困る」と仰せられた上、「私は言い尽くした。言うだけの事は全部言ったから」と仰せられる。

 

 

昭和29年4月19日

明主様は(中略)一時間位お歩きになった頃、明主様のお体がフラッとされ、「急に頭が変になってきた。手の感覚もなくなって来た」と仰せられた。奥様・おば様は心配されたが、「少し辛抱して下さい」と励まされ、中屋へご案内する。ご神前でお寝みになられる。しばらくすると、「足に痛みを覚える」「頭に熱が出て来て、頭がガンガン鳴る。頭の中がガンガンするので何も考えられない。もっと静かな所へ移りたい」と申された。(中略)すぐにその建物の一階和室にお移り頂き、お床にお入り給う。そして非常に重大なる御神事が行われ、大メシヤとして御生誕遊ばされ給うたのである。(中略)

 

明主様は「今夜はこのまま中屋で寝む」と申された。(中略)「中屋は天の岩戸開きの場所になる。今に大変なご神業のあった記念の場所となる」と御垂示給わる。(三代教主時代に売却される。)

 

 

昭和29年4月20日

「この度私の腹中にメシヤが誕生したから産土宮である伊豆山神社に私の代参として、参拝し御礼を言上して来なさい」とお命じに遊ばされ阿部執事が代参。

(昭和28年7月の井上茂登吉邸での御神事から約十月十日後)

 

【参考】

井上邸での御経綸の件

私達夫婦は、昭和25年の法難事件の後、お邸を下がる事になりました。
メシヤ様から「今どんなことを言われても耐え忍べ。大変大事な時で、時所位が決まるのだから耐え忍べ」との力強いお言葉を頂き、メシヤ様にお仕えできない寂しさや、辛さ、悲しさもありましたが、小さな古い借家に移り家事に専念することになりました。そんな折、昭和28年7月のある日、側近の樋口ひめさんが飛び込んできて、「一時にメシヤ様がお見えになるから今からお掃除しましょう」という事で、私は浄化後の長男をおんぶしたまま樋口さんと掃除を済ませ、花を活け、冷たい麦茶をご用意して、胸ときめかせてお待ち申し上げておりました。すると「暑いね」とお声がしたので、私は子供をおんぶしたまま平伏してお迎え申し上げました。頭を上げるとパンツ一枚のメシヤ様が、すでに下駄をお脱ぎになっておいでなのでびっくり致しておりますと、お供の井上がお召し物を両手で抱えて入って来ました。我が家は三部屋しかありませんでしたので六畳の洋間の籐椅子におかけになり、しばらくお涼みになられ、冷やした麦茶をお召し上がりになりました。そしてご神前のテーブルを前にお座りになられ、私に「子供をおぶったままでいいからここへ来なさい」と仰って次のようにお話下さいました。「あんたも三千年前に神様にお仕えしていた因縁のある一人だから話すが、今私はどうしてもやらなければならないことがある。邸は人の出入りがあり、途中邪魔が入って出来ないのだが、これは将来教団の発展と人類救済に大きな訳がある。(実はもっと詳しいお話がありましたが・・)その神事に井上の家を使いたい」とおっしゃられました。私はあまりに大きな御用のお手伝いにお使い頂ける事に身の引き締まる思いが致しましたが、即座にその御用にお使い頂きたくお願い申し上げました。メシヤ様はニコニコなさって「そうか、子供をおぶって人知れずお役に立つんだ。こんな素晴らしいことはないんじゃあないか」とお喜び下さいました。私は有頂天で、またメシヤ様のお役に立てる事の嬉しさで舞い上がっていましたが、冷静になってみますと、さて、この借家は確かに近所に二軒しかなく、メシヤ様はおつむが真っ白でどこにいてもすぐおわかりになりますから、さほど人が興味本位で覗いたり、口に上せたりする事はないでしょうが、メシヤ様がお使いになるには、あまりにもお粗末で申し訳なく思いました。ところがメシヤ様は、私の胸の内を即座に見抜かれ、「新婚当時を思い出すな。今年は此処で我慢しよう」と仰って、お帰りになりました。
ところが二日後、「いい家があったから見ておいで」とのお言葉で、早速見に行きますと、かなり広い敷地に三十五坪位の家で、主になる部屋からの眺めは、メシヤ様が「富士見亭のような感じがする」と大変お気に召され、すっかり手入れが済んで二代様とお出まし下さいました。その後度々お出まし下さり、一夏が過ぎ、秋、熱海にお帰りになるまで続きました。私の御用は、お出ましの準備をさせて頂く事であり、ご挨拶を済ますと子供を背負って外に出て過ごしました。その間、メシヤ様と夫と長谷川ナミさん(イザナミノミコトの型・現界の罪を背負う。当時の側近や高弟の方は、太古からの因縁でメシヤ様に引き寄せられて御用をしていた)だけで神事が行われました。最後の日に、メシヤ様は「これで間に合った、人類が救われることになるんだ。あんたは子供と一緒に大変な御用をしたんだ。ありがとう」と仰って下さいました。私はそのお言葉だけで、ただうつむいて感激で涙が溢れるばかりでした。メシヤ様のお側を離れてから、御用にお使い頂けない寂しさや辛さはもうありませんでした。どこにいてもどんな立場でも、誠をもっていれば神様が必要とされお使いになる事が分かりました。

 

 

昭和29年4月21日

朝、お目覚め遊ばされたが、お体の具合が悪く、腹痛もおありのご様子である。午前10時頃、「お腹の痛みがとれて来た」と仰せられる。以後、お体の調子も次第に回復遊ばす。明主様は、お床にお寝みになりながら、樋口氏に19日の御浄化の模様からメシヤご生誕の経緯をお話遊ばされ「この非常に神秘なこと(4月19日のメシヤ生誕)があって、私は非常に驚いた。しかし非常に素晴らしい出来ごとであり、世界が変わっていく重大な時期が来たのだ」と仰せられる。また「この浄化は1年近くかかる」ともお仰せられる。(中略)(樋口媛)

 

 

昭和29年4月23日

明主様は、朝5時にお目覚め遊ばす。御顔は清々しいご様子をお示し遊ばす。午前7時、朝食をお召し上り遊ばす。手の動きが少しずつよくなられ、サジでなくハシでつまんでお召し上りになられるようにお成り遊ばす。夜、明主様は号泣された。おば様が心配されお尋ねになると、「メシヤとして降誕し、大変結構なことである。その嬉しさに号泣したんだ」と仰せになられた。

 

 

昭和29年4月24日

午前2時頃、明主様は激しい頭痛にお目覚めになられる。自らご浄霊を遊ばされ、しばらくしてお寝みになられる。午前5時45分までお寝み遊ばす。明主様は、お床の上にお起きになられ、朝のお庭の景色を御覧遊ばされながら、「希望の朝だ」と仰せられる。午前7時、朝食をお召し上り遊ばす。御浄化後初めて普通の量ぐらいお召し上りになられ、その後の食欲も旺盛で、お芋、メロンをお召し上りになられる。この日は、体調がおよろしいのか昼間2度お庭の景色を御覧遊ばされ、「このように手入れの行き届いた綺麗な庭が見られるし、瑞雲山の指図も済んで天国の雛型が凡て用意されているからよろしい。計画(建設)が全部済んで、その後の浄化だから、ゆっくり休養ができる。神様は気が利く」と仰せられる。「これからは5分前に持って来い。遅れてはいけない。早い分には5分位早くてもよい」と仰せられる。御浄化以前は決められた時間にキチンキチンとすることを求められたが、御浄化になられてからは凡て5分前となる。ノアの洪水についてお話された後、「あの時は7人が生き残ったが、今度来る大浄化は、残る人数こそ比率上多いが、あんなものではない。想像以上のものだ」明主様はじっと何かをお見つめになっておられたが、突然涙をボロボロとお出しになられ大声でお泣き遊ばされた。おば様は「きょうも嬉し涙ですか」とお尋ねになられたが、黙っていらっしゃる。それで「どこかお苦しいのですか、おつらいのですか」と申し上げると、「いや、そうじゃない。今大峠の様を見せられた。それは私が想像したよリも実にひどく滅びる者が多いのを見て、私は非常に悲しかった。結局、人間が一人でも滅びるということを一番悲しむのは、誰でもない。神だよ」と仰せになる。そして「今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただいたが、これからはお詫びだけでは駄目である。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ許されない。また、お詫び申し上げてもお許しがあるのはそれだけの理由がなくてはならない」と仰せられた。(樋口)

 

 

昭和29年4月25日

午前6時15分にご起床遊ばす。御気分は良好のようにお身受けする。(中略)

明主様は「本日のご面会に来た信者に私の声を聞かせねば意味がない」と仰せになられ、録音機の準備をご指示あらせられる。手配の録音機が届く前、一陣の猛突風が吹く。この直後、録音機が届けられると、「龍神が運んで来た」と仰せられる。午前11時、まだお口調が少しはっきりあらせられなかったが、次のようにお言葉をお吹き込み遊ばす。

 

「これから録音をかけます。今度私は甚だ神秘極まる浄化でした。別に心配はないのですけれど、何しろだしぬけに来たので、ちょっとまごついたわけです。

併し考えてみると、これはもう神様の方であるべき事になっていたので、これも御神業として非常に神秘な事でいずれ詳しい話はする時期が来ますけれど、何しろ神様の事だけに、神秘に神秘でして、簡単にお話は出来ないのです。

併し、いい事なのですから、決して悪い事ではないのです。御神業の発展上重要なることなので、先ずその発表の時期を待たれたいと思うのです。もっと話をしたいのですけれども、何しろ今はっきり言う事の出来ない事柄なので、いずれゆっくり話する時期を待って貰いたいと思うのです」

 

この後、「如意宝珠の働きで以って、力は百倍以上になる」と仰せられる。

 

同日17時30分、「ハレルヤコーラス」をレコードにて御鑑賞。

 

 

昭和29年4月26日

理髪のために三枝敏三郎氏が来られ、明主様のお頭の髪の変化に気付く。「明主様は、不思議ですよ。前額部のビンのあたりのうしろの方の三ケ所の銀髪の中に黒い髪の毛が新しく、しかも沢山生えて来ているんですが、どういうわけでしょうか」とお伺いする。明主様は「私は浄化されて生まれ変ったんですよ。今赤ちゃんですよ。まだよちよち歩きの1才ですが、これからだんだんとよちよち歩きから歩けるようになり、その成長に従い黒い毛が生え、しまいには全部黒い毛になりますよ」と仰せられる。この時、三枝氏は明主様にお願いし、耳朶の下の太い白髪を5本残す。この白髪はのちに黒髪となり、御昇天時には3センチ近くにのびたという。

 

 

昭和29年4月27日

14時、「メサイア」をレコードにて御鑑賞。18時10分、再度「メサイア」をレコードにて御鑑賞。

 

昭和29年4月28日

午前6時30分、ご起床遊ばす。しかし、前夜は神様のご都合でお寝みになれず、お熱お在すご様子。7時過ぎ「頭が少し痛む」と仰せられ、想念の御浄霊を遊ばす。(中略)吉岡庸治氏がお見舞いに来られる。明主様は、「今後ともよい美術品は全部買い取る。これを永久に神様のものとし、人類を楽しませる」と仰せられる。(中略)

側近奉仕者に対し「メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは我を出さず素直になるように努めなくてはご奉仕は許されなくなる」と厳しいお言葉を賜わる。また、「これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい」と仰せられる。(樋口)

 

昭和二十九年神秘のご浄化

昭和29年のご浄化についてネットで見つけたいろいろな情報を日付順にまとめたファイルがあったのを思い出しました。
なにぶんネットで得た情報ですので、真偽の検証なしにはこれが事実だと断定することはできません。人の証言にはどうしても主観が入ってしまいますし、物事の解釈の仕方も人それぞれですから、ある人にとっての真実でも客観的に見た真実と一致しないことがあるかもしれません。場所や人の名前など、私にはよくわからないものも複数あります。
そういう事情を踏まえたうえで、一応できるだけまとめてみたものとして出させていただこうかと思います。もう全部ご存じの方も多いかもしれませんが、一つのバージョンとしてご参考までに。