明烏ど阿呆日記

徒然に考察する岡田茂吉思想とこれから

その6

昭和29年12月11日

午前10時過ぎ、明主様は、長谷川ナミ、内藤らくの両氏を碧雲荘へお呼びになる。阿部執事、他側近奉仕者のいる処で「今日より長谷川ツタと命名する」と明主様は仰せられ、「長谷川についてる神様は非常に偉い神様であって、今日までの文化を造った神様である。それ故に特別にご浄霊するのである」と仰せられ、わるい方の御手で1分足らず長谷川氏を御浄霊遊ばす。その折、「これからは1千人位の浄霊をする時、1分とかからぬよ」と仰せられる。次いで「ツタよ、いよいよお前の御用が出来た。アメリカヘ行け。樋口喜代子は宣伝係とする」と御神命を仰せられる。長谷川氏は現状のままでいたいという執着のため、「自分が少しも望まぬことをおさせになるのですか」とご反問申し上げる。「私とて今の浄化は望まぬところであったよ」と仰せられ、長谷川は一言もなかったという。(後略)

 

水晶殿御遷座(録音から)
「私も何かしゃべりたいと思いますけれども、何しろ、やっとこれだけ声がね、これ、やるとね、やっぱ、頭がね、そりゃ響くんでね、ですから…あのー、阿部さんに、このー、私が言った事を書いてね、そして、えー、何しましたからね、それで、後でね、阿部さんから…話がありますから、よくそれを聞いて…えー、今後の方針を…立ててもらいたい…、でー、ただ一言ですけれども、いよいよ…このー、御神業の本筋に入って来た。ですからこれからね、色んな変った事が沢山出て、それにまごつかないように。もう一つは、このー、驚くようなね、段々今から出て来ますからね。それに就いてはね、あのー、解釈はしてありますがね、とにかく余程のね、肝っ魂をね、落着けないとね、うーん、中々…大変です。まっ、それだけ…お話しておきます」

「水晶殿は、地上天国の一部の雛形として、神様が御造りになるようさせられたものであって、これを神様はメシヤ教に造らせるようになされたものである。また、今後教団の組織にも多少の変革があるものと思う。この水晶殿は決して独占的のものではないので、一人でも多くの人々に天与の景勝地を楽しんでもらいたい。
最も御浄霊力の優れた人、信者を沢山お導きになられた方、神様に対して非常な御奉仕の強い方、こういった点を考えまして教団で決めるように」

水晶殿完成前に、資格基準を明らかにされ、人材を選ばれ教団組織を改める意向を阿部執事に示すと共に「顧問の皆さん、長い間ご苦労さん」と顧問の退任を示唆されていた。水晶殿で一夜を過ごされ、明主様のご意向として資格三条件が阿部執事から代読されたが、顧問制度廃止のご意向を執事は発表せず、顧問はそのまま居残る事となった。

 

この日、メシヤ様が水晶殿にお出ましになり、教団役員や教会長に御垂示あらせられた頃、つつじ山参道やメシヤ会館側の道路に参列した資格者や信者さん達は、水晶殿より空に向って立ち上る巨大な光の柱を拝した。初めは、水晶殿のメシヤ様の御座所辺りと思われる御位置から白雲のようなものが立ち上り、その下の方から次第に金色に変わることに、居並ぶ信者さん達が気付き、「アッ、御光だ!御光だ!」という声があっちこっちから上った。

また、その立ち上る御光の雲を拝しているうちに光の柱と変り、大空に届くが如き情景を拝しまして、参拝者一同、メシヤ様の御威徳に感動した。

 

 

昭和29年12月14日

(前略)この日、明主様は、長谷川ツタ氏に「アメリカ行きが早くなった。お前は神様がついて行くから身体だけ行けばよい」と仰せられ、教団へ渡航手続きを急ぐよう御命じ遊ばす。また、長谷川氏に、「お前は来たい時にいつでも来い」とお言葉を給わり、御浄霊を頂く。「今までは考えて物をするということもあったが、メシヤとなってからは、全くそれがなくなった。メシヤの都合で予定が急に変更することがあり、まるで分らぬ」と仰せられる。(後略)

 

 

昭和29年12月23日
明主様御降誕祭。
千手観音様の御神体を御奉斎。
明主様御着座遊ばされ、天津祝詞奏上。御神名不明。

(今後の御神名奉唱の回数に関して)
同日「今日以後の御神名の奉唱は一回だけにせよ」とのこと、教団本部での奉唱は一回、教会、集会所では二回(従前通り)、信者の家庭では三回と御神名の奉唱が変わる。

 

昭和30年1月1日

メシヤ様は、真夜中に大変厳しい御浄化を遊ばされ、午前4時頃便所へお出になった所、下痢を遊ばされる。かかる事は未だ例のなかった事で、メシヤ様は「厳しい浄化はこれが大浄化の型で、下痢は、これから流れる型であった故、皆気をつけるように」とお言葉を給う。また、「今年は思いがけない意外なことが起こる。特に、節分を過ぎると、大変だ。教団も引っくり返り、世界もひっくり返る事があるぞ」と仰せになる。

 

朝、渋井啓子夫人が新年のご挨拶にメシヤ様をお訪ねすると、「今年は、今朝神様からお知らせがあったが、大変無気味な事のある年である。即ち浄化である。教団に於ても変わり事がある」とのお言葉を給わる。

 

(元旦の御言葉)
「まだ大きな声が出ませんから、聞きとり難いだろうと思いますが、ともかくこれだけに治ったという事―皆さんの前で喋れるようになったという事は、非常に嬉しいと思ってます。色々な―病気やら奇蹟について、お話ししたい事―打明け、また教えるという事が沢山ありますが、それは、追々時の経つに従って、段々お話ししたりします。
とにかく今日は、新年のこういうお目出たい事をちょっとお話しして、これだけにしておきます」

 

昭和30年1月2日

メシヤ様は、「これからは想念が大事である。今は御光が非常に強くなっているから、私にしっかりお縋りし、ご守護をお願して御浄霊をすれば大抵な浄化は治せるよ」と仰せられる。

 

 

昭和30年1月6日

メシヤ様は、長谷川氏を前にして、「今に皆、この人(奥様の事を指される)の世話になるよ」と仰せになられる。また、「これから、貴方方の世が来ますよ」と仰せられる。

 

 

昭和30年1月7日

「七草は薬毒を意味し、雑煮などすべて艮の大神様に対し奉る呪術の行事であって、最早これも許されぬ時期となった」と仰せられる。(中略)明主様は、お側の奉仕者に御用をお命じ遊ばされた。その奉仕者はその事がよく理解できず、お尋ね申し上げた所、「聞き返すというのは恐怖症にかかっているんだよ」と仰せられ、「もっと伸び伸びと誠をもってやればよい」とお諭しあらせられる。

 

 

昭和30年1月14日

(前略)予定より少し遅れて御料理をお出し申し上げる。明主様は時間を守らなかった事を厳しくお叱り遊ばされ、「いつも馬車馬のように私を見つめていなければならない。よそ見してはいけない」とご注意頂く。(後略)

 

 

昭和30年1月22日

メシヤ様は、「私のまねをしなさい。私はそんな事はしないだろう。もっとしっかりしなさい」とのお言葉。「御神書を読んでいるのか」「はい、読ませて戴いております」「御神書にそんな事は書いてないがなあ」と仰せられる。

 

 

昭和30年1月23日~31日
連夜「ハレルヤコーラス」のレコードを御鑑賞。


昭和30年1月25日

「春の大祭に信者全部にハレルヤコーラスを歌わせる」と仰せられ、合唱練習をするようご指示遊ばす。


昭和30年2月4日

(立春祭の御言葉)
「今日は、本当に久しぶりで、やっとこれだけ喋れるようになった。ですから、お喋りしたいことは沢山ありますが、まだ、頭が少し…。なにしろ、あんまり、大きい声を出すたびに、頭へ響くんです。ですから、もう少し回復して、それから大いに…それも長いことはないと思いますが…それまで、まあ、やっとこの程度で我慢してもらいます。
で、なにしろ、こういった不思議な病気というものは、すごくなんとも言えん、珍しい体験をしたわけです。もう、喋れるようになったら、実に奇想天外な事をお話しするとは思うんですが、それだけに、楽しみにしていてもらいたいと思うんですが。そんなようなわけで、あんまりお喋りできないんで、今日はこの程度ですまして」

同日、「春の大祭に合唱するハレルヤコーラスは原語で歌うように」との御指示遊ばす。

 

 

昭和30年2月5日

メシヤ様は、血を吐くご浄化を遊ばされ、「今に非常に浄化が厳しくなり、一度に血を吐いて死ぬ者も出るであろう」と仰せられる。

 

 

昭和30年2月8日
色絵藤花文茶壷御入手。


昭和30年2月10日

午後3時33分、御昇天遊ばされる。