明烏ど阿呆日記

徒然に考察する岡田茂吉思想とこれから

令和のミロクの後

「天国の礎」に昭和23年ご執筆の「二十一世紀」というみ教えがありますが、ここに掲載されているのは実は一部で、本来は前に「序文」があり、後に「悪なき社会」と「政治」が続きます。未完成の原稿であるらしいので、本文だけを掲載したのでしょう。

 

因みに序文は以下の通りです。

 

序文

 私の常にとなえる地上天国とはいかなる世界であろうかという事は、よく聞かれるのであるが、これについて私は一九二六年神示によって知り得た一世紀後の世界の状態であるが、今まで幾度書こうと思ったが、どうも時期尚早のような気がして今日に至ったのである。ところが最近に至って書かなければならない時期到来をしきりに感ずるまま、ここにペンを執る事になったのである。しからばこの神示の未来記とは果して実現さるべきや否や、これは読者の想像に任せるが、私としては必ず実現すべき事を確信するのである。
 そうしてここで断っておきたい事は、読者が百年間眠っていたところ、ようやく眼が醒め、それと同時にあまりに世界が変った事に驚いたのである、という事を仮定して書いたものであるから、読者はその積りで読まれたい事である。

 

明主様は決まった時日を含む予言は必ず外れるとおっしゃっていますから、1926年に一世紀後の未来の様子を知らされたといっても、ちょうど百年後の2026年にミロクの世が出来ているとは限らないのですが、前回書いた事柄を鑑みると、令和5、6、7年ミロクの翌年の2026年。自ずとその期待は湧いてきてしまいます。

特にこの頃、都市伝説界隈などでは2023年に世界にとんでもないことが起こるとか、2025年に日本が滅亡するとか、コロナ禍も相まって人々の不安を象徴するような話がまことしやかに広まっているようで、それらに接するたびに大浄化・大峠の御教えに思いを馳せると同時に、「でも2026年にはミロクの世になってるかもだし」と呑気に考えてしまうことも正直ありました。

 

でも現在の世界情勢からして、いくら何でも2026年は早すぎるだろうかと思っていたところ、先日またこの御教えを目にしました。そこでふと気づいたことは、ご神示を受けられたのは1926年ですが、ご執筆されたのは昭和23年、つまり1948年だということです。

ひょっとして、1948年から百年後、ということはあり得るだろうか?という考えが浮かびました。

2048年。いったいどんな意味がある年だろうと思い、何気なく調べてみて驚いたのは、2048年は令和30年にあたるのです。

 

いわずもがな、明主様は昭和30年3月3日に「メシヤ降誕本祝典」を行う計画をされていましたが、2月10日に御昇天となりました。

当時実現しなかった「メシヤ降誕本祝典」を、その後複数の団体が独自に執り行うということがあったようです。そのたびにそれらの団体内では大きな意味付けがなされ、御神業の一大イベントであるとの盛り上がりが当然あったようですが、過ぎてしまえば、特にその他の団体にしてみれば、そんなことがあったの?くらいの認識に終わってしまった感が否めません。個人の感想ですが。

 

そしてこれはあくまで個人の妄想ですが、明主様系団体内のみならず、全世界的にメシヤの力が顕かとなり、あまねくメシヤ降誕を祝うようになるでしょうか、2048年には??

 

私がそれまで生きているかは微妙ですが。2026年だったら大丈夫かと思ったんですけど。

 

もう一つ、ご神示を受けられてから22年後にやっとご執筆になられたにもかかわらず、このみ教えが何故未完成、未発表のままとなったのかという疑問も残りますが、これは私に考察できるレベルをはるかに超えているかと思います。