明烏ど阿呆日記

徒然に考察する岡田茂吉思想とこれから

その4

昭和29年7月3日

角田美代子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。阿部執事は角田氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫びとご守護のお願いをしてご浄霊を取り次ぐ。その一方で、他のお勝手奉仕者も角田氏の火傷を心配し、お側奉仕の樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願いしてはと、使いの者が観山亭へ行く。樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく激しい痛みがおさまる。翌朝起きてみると、やけどのあとはすっきりと治り、前より顔の膚がきれいになっていた。

 

メシヤ様に角田は「私のように罪深い者が、ご祈願とご浄霊により、やけどのご浄化をこのようにご守護を頂きました。このご浄化で前より綺麗にならせて頂きました」とご報告を申し上げると、「これが唯一の見本だよ。これからは祈願が第一である」と仰せられる。「それから“私の様なものが”ということは、これは大いなる間違いである」とお叱り給わる。「謙虚と卑下と一緒にしてはいけない。謙虚であるべき所は謙虚たるべきだが、卑下はいけない。“自分のような者”という事は絶対に思ったリ言ったりしてはいけない。どんな人でも神の御子である。神様がおつくりになったものである。“自分のような者”と卑下するのはまるで神様に意見するような形となる。すべて神様がなされていることであるから自分勝手に自分を考えてはいけない。またお前を使っているのはわたしだ。わたしが使う者に“私のような者”と言えば神様は変な者を使っているという事になるのではないか」と御教え賜わる。

 

 

昭和29年7月4日

午前中、大草管長・松井顧問がメシヤ様を観山亭にお訪ねし、「今の社会情勢から見て、現身のメシヤ様の「御尊影」を御神体として礼拝させて頂けば官憲はどのように誤解するか分らない。従って、御神体を元の「大光明如来」にお掛け替えをお願いさせて頂きたい」と言上申し上げる。メシヤ様は「よろしい」と仰せ遊ばす。直ちに「御尊影」をお下げし、従来の「大光明如来」の御神体の御奉斎が行われる。(後略)

 

 

昭和29年7月5日

メシヤ様は聖地内を御散策の予定であらせられたが、雨のため中止遊ばす。メシヤ様は、樋口氏を呼ばれ、「部屋に活けてある山百合の匂いがあまりにも強いので捨てて来なさい」と仰せられる。捨て場所までご指示になられたので「ハイ、畏まいりました」とご返事申し上げる。お花を持ってお勝手まで来たところ、奥様にお会いする。「その花どうするの」と仰言ったので、「捨てに行くところです」と申し上げる。「チャンと活けてあるから神山荘で使う」と仰言られたため、「お願いします」と申し上げ、お勝手にお花をおいてお部屋に戻る。メシヤ様は奥様との会話が聞こえるはずがないのに、「今の花はどうした?」と仰せられる。樋口氏は吃驚し、ありのままに「実は奥様が神山荘の方であの花をお使いになる、とおっしゃったので、お勝手に置いてまいりました」と申し上げる。するとメシヤ様はすごくお叱りになられ、「私のすることは塵一つ、紙屑一つでも言った通りしなさい」と仰せられ、直ちにお詫びし下がらせて頂く。再度山百合を捨てるべくお勝手を出、阿部執事宅の前を通る時、阿部夫人より、「その花どうするの」と声がかかり、「捨てに行くところです」「きれいな花ね、誰かよその人にさしあげましょう。おいていきなさい」といわれ、あげてしまう。樋口氏は後になって、メシヤ様の仰せられた通りにしなかったことが、いつまでも気掛かりとなる。

 

 

昭和29年7月6日

午後1時、メシヤ様は樋口氏をお呼びになり、「きのうお前がやってたことは間違っている。咲見町へ行って修行せよ。毎日御神書を拝読せよ。神様は厳しいから少しの間違いも邪念も許されぬ。きっと又、ご奉仕のお許しがあるから楽しみに修行せよ。御教えのすべては、ご讃歌にあり、これを何遍も心をひそめて拝読すれば何が大切で、何をしなければならないか分かってくる」と御教え頂く。また、「お前の我の働きが信念になっており、とても性格が固いところがある。また、物事を決めてかかり、己の考え方で、他を振リ回すことが時に見られる。如何に気・心配るも神意に添わねば無駄である。一切を無にして、心よリ神を敬愛して生きよ。授かる幸せ、明るき幸せ、神の慈悲に感謝して生きよ」とおさとしの言葉賜る。更に、「水晶殿は、水晶世界の型である。水晶世界になれば、水晶の心にならねばならぬ。一寸の邪念があってもいけない。一切を無にしなくてはいけない。我があっては神意に添わない。その水晶の心となるように修行すれば、神様より素晴らしい力が頂ける」とご垂示あらせられる。

 

 

昭和29年7月9日

メシヤ様は「メシヤの降臨について世界に一辺に知れ亘ると邪神の妨害があり大変なことになる。メシヤの仕事が進むにつれて、メシヤが降臨したことが、後から分かるように神様はお仕組み遊ばされている」と仰せられる。

 

 

昭和29年7月11日

メシヤ様は「真に水晶世界になる時は、薬毒は一瞬にして全て消す。ただこの折多量に薬毒を注ぎ入る者は生命を失うこともある」と仰せられる。(中略)

 

お側奉仕の中村美智子氏は、お言葉通りに出来なかったためにメシヤ様よりお叱りを頂く。中村氏は、「私のこの愚かさは一生治らないのでございましょうか」と申し上げると、「そんなことはないよ。一生治らない者を神様はお手数をかけてお使いになる訳はないよ。人の名前によって働きが違う」と仰せになる。(後略)

 

 

昭和29年7月13日

メシヤ様は「人類救済のために余を真似よ」「メシヤ教の教えは厳しくなり、少しの間違いも許せない」と仰せになる。

 

 

昭和29年7月18日

メシヤ様は、吉村氏の信仰姿勢を見通され「信者は信仰が進むに従い信仰一途となる。それは大変いいことである。しかしその反面、社会性のない偏った人間性となりやすく、社会から見た場合常識のない人間に見える。大事なことは、信仰心があってそして信仰の臭みのつかない常識人になるように努めなくてはいけない」と御教えを賜わる。

 

 

昭和29年7月19日

吉村氏は、笑いの方に気をとられ、メシヤ様の命ぜられた御用に気付かなかったため、「私の顔をいつでも見つめ、いつでも御用に応えられるように神経を使っていなければならない」と厳しくご注意を頂く。

 

 

昭和29年7月20日

メシヤ様は、吉村氏に「御神書をよく拝読しているか」とお訊ねになる。「十分には出来ておりません」とお答えさせて頂くと、「しっかりと御神書を拝読しなければ神様から力は頂けない」と御教え頂く。

 

 

昭和29年7月25日
メシヤ様は、「30年3月3日にメシヤ御降誕祭を執り行う」とお決めになられた。その時のメシヤ様の御盛装は、御頭に王冠をいただき、御下着(聖徳太子の如き)には紫地に金の刺繍で鳳凰を描き、御上着は白地に金糸にて雲をあしらったものをご着用遊ばす事に決まった。

男18人、女18人がメシヤ様のお側に並びハレルヤコーラスを祭典で行うので、準備にかかるようにとの御指示。ハレルヤコーラスの演奏はNHK交響楽団に出演を依頼する事に決まる。(中略)

 

メシヤ様は、「いま毎日世界経綸を行っており、お側奉仕の者を始終変えているのは、それぞれ世界の型、民族の型になっているのである。今度は真に現実の御経綸なるが故に、神々もすべてお使いになって活動されるのである。ヨネは、アメリカの型故、唯物的であった。今度は唯物主義でもいけない。今までのことを改心して日本の型になってご奉仕が出来るように努めなければならない」と樋口氏に御垂示遊ばす。

 

 

昭和29年7月26日

メシヤ様は、「現実の破壊と創造は日々世界各地に於て行われている。将来、腰を抜かすような大きな経綸が行われる時、天地上下は引っ繰り返るのである。その時のために少しでも徳を積み、美しき行いをしておかなければならない。天地が引っ繰り返る程の大浄化が起きた時は、信者でも残るのは2割位は難しいであろう。しかし、本当に改心し善徳を積めば、その大峠も易々越せるのである。昭和29年6月15日から本当の世界歴史が始まったのである」と仰せられる。

 

 

昭和29年7月28日

樋ロヒメ氏、御命によりお側奉仕より下る。「自ら修行に努め、自分でこれならよいと思える程になったら来い」とお言葉を給わる。(後略)

 

 

昭和29年7月30日

メシヤ様は、竹の間に敷かれたお布団の上にお座り遊ばされ、お体を少し斜めになされ、「今にあそこが私の永久な住居になるんだ」と現在の奥津城の位置を指しながら仰せになられた。お側奉仕の利見氏は(新しい家でも建てられるのだろうか)くらいの軽い気持ちでお話を伺ったという。